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第1章 押絵羽子板の歴史

第1節 羽子板の起源

1.羽根突きと羽子板

 正月に行われる女の子の野外遊戯といえば、まず、羽根突きがあげられる。

 この遊びの起源はいつの頃かは定かではないが、『下学集』(文安元年1444年)という室町時代中頃の辞書の中に「羽子板 正月ニ用ユ之」とあり、これが初見とされている。これには「ハゴイタ」「コギイタ」と二通りのルビが付されている。ハゴイタは羽子、つまり、羽根を突く板という意味と思われる。コギイタも羽子板のことで古くは羽子木板といわれいたが、いつしか「は」が取れてこぎ板」となり、これは上流階級で称されていたという説がある。

 当時の羽根突きがどのような遊びであったのかを物語る初めての文献としては、『看聞御記』(永享4年・1432年)という後崇光院が書いた日記がある。

 これには宮中の正月に公家の男女が組の分かれて「こきの子勝負」をしたと記している。このゲームに負けた組は酒をふるまい酒宴を催したという。では、この遊びは一体どんなものであったのか。おそらくは屏風絵「月次風俗図」(室町時代末期)に描かれているところのものと思われる。

 また、羽子板は、当時の上流階級の間でとりかわされた歳暮の贈物のひとつであった。その表裏には蒔絵などが施された豪華なものであったと『看聞御記』に記されている。その図柄はおそらく左義長羽子板のようなものと思われる。

2.左義長羽子板

 内裏羽子板・京羽子板とも呼ばれ、当時の上流階級の間でこれを歳暮などの贈答とした。

 図柄は宮中の正月行事のひとつである左義長が描かれている。表には公家風俗の人々が御殿から何かを見物しているところ、裏面には笛や太鼓で賑やかな左義長の場面が描かれている。両面とも胡粉を盛り上げ、金箔を押すなどの美麗な彩画が施されている。

 左義長は占いや厄払いの進行を伴う正月の火祭りであることから、左義長羽子板はこの行事を羽子板に描き、その年の縁喜を祝う正月の飾り物とした。しかし、このような豪華な左義長羽子板は、江戸時代末期に衰退した。
 一方、庶民の間では図柄は左義長だが、泥絵の具で一筆描きに簡略化された羽根突き用の羽子板が江戸時代前半期から流行した。

 図柄は、単に夫婦と子供が大勢居並ぶ家族を描いたもの、すなわち子孫繁栄を意図したおので、左義長の故事からは離れたものであったと思われる。これらは地方にも伝播して、明治時代まで、初正月を迎える女の子の幸先を祝う贈り物として売られていた。

次号に続く
 (左義長羽子板)
長谷川人形店
埼玉県民族工芸調査報告書より

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